「残業代ゼロ法案」を考える 4 〜 日本人の「働く」意識 〜

残業代ゼロ法案」(正式名称:日本型新裁量労働制)について、日本国内で議論が活発化していますが、「残業代ゼロ」という考え方や働き方は、いまの日本の社会に合っているのでしょうか。

日本の労働時間や休日などを規定している「労働基準法ですが、この法律の歴史は古く、終戦直後の1947年(昭和22年)に施行されました。
戦後のわが国を復興させていくというステップにおいて、産業がどんどん発達していく中で、本来なら働かせるべきではない子供を坑内労働させたり、女工を不衛生な工場で昼夜問わず働かせ続けたり、と労働条件がなおざりにされていた時代がありました。
そこで、「産業構造を改革することとあわせて、労働条件を整備していくことが、スムーズに社会復興、経済復興をしていくことが必要不可欠である」という考え方のもとに、労働基準法が定められました。
労働基準法第1条第1項は、「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。」と、労働者に人間としての価値ある生活を営む必要を満たすべき労働条件を保障することを宣明した労働憲章的な規定となっています。
なお、日本国憲法第25条第1項(国民の生存権「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」となっていて、この2つの条文を読んでいると、「生きること」と「働くこと」がとても密接した関係であることが伺えます。

最初に制定された労働基準法は、長らく戦前以来の工場労働のあり方が背後に想定されてきましたが、サービス化・情報化の動きに象徴されるように産業労働の実態も大きく変容しました。こうした変化に対応するため、改正作業が段階的に行われてきて、現在の労働基準法となっています。
ただ、もとが旧工場法などを基に制定されたものであるために、「労働力を投下すればするほど価値(利益)が増大する」という「時間を費やす=利益が増える」という考え方が根底にはあります。
そのために、「長く残業をする=多く利益を生み出す」こととなり、残業することを評価するような風潮になってきたと思われます

このように見ていくと、今回の政策で提案をしている「成果ベースで、一律の労働時間管理に囚われない柔軟な働き方」は、「時間を費やす=利益が増える」という第二次産業(工業・製造業)、つまり日本人が戦後の高度経済成長期に主に力を入れてきた働き方には適さないように思われます。
また、第二次産業でなくても、残業が評価されがちな日本文化において、この提案は受け入れられにくいものであるように感じます。

欧米諸国とは違う文化を持つ日本が、「日本版ホワイトカラーエグゼンプション」を導入するのであれば、まずは根底にある働き方に対する「意識」を変えることが必要になると感じます。

様々な意見が飛び交っている「残業代ゼロ法案」ですが、この政策の導入を反対する意見、賛成する意見、それぞれどのようなものがあるのかを次回2回にわたり見ていきたいと思います。